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昨年(2000年)の文化財情報                   

12月末までのものは「文化財情報」にあります。
    ●・・・県内ニュース    ★・・・県外ニュース

 

「三浦梅園資料館」オープン                   10.25 合同
 
安岐町の三浦梅園旧宅の隣接地に「安岐町立三浦梅園資料館」が24日会館しました。国指定重要文化財の梅園自作の天球儀や遺稿などが見られるそうです。入場料は高校生以上三百円、中学生以下二百円だそうです。
●大友館跡(10月16日)−大分県−  
大分市にある中世の大友氏の「大友館跡」(同市顕徳町)を調査している同市教委は、 館の中枢施設とみられる大型建物の礎石跡、館と町屋を分ける築地(ついじ)塀や溝跡 などを発見し、15日、一般に公開した。大型建物の柱の土台部分とみられる礎石跡は、 館の中心と推定された場所から、東西に3基、南北に2基の石が詰まった土坑跡が見つ かったもの。周辺より約50cm高く盛土整地されていることや儀礼などに使用された土 師器の破片が大量に出土したことなどから、政務を行った「主殿」などの可能性が高い という。 また、館跡の北西部で東西に平行して伸びる3列の溝遺構や塀跡が見つかり、 周辺からは瓦なども出土し、館と町屋を区分する施設と推定される。京都の将軍や管領 邸にみられる築地塀に類似した施設があったとみられている。 hot news参照
<考古学情報88>
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●大分市-金ぱくの土師器皿のかけら出土-中世大友府内城下町
遺跡  9/15   合同
県教委が発掘調査している大分市上野六坊の「お蔵場」の築地塀跡とみられるところから見つかった。
16世紀後半のもの。山口の大内氏館跡からも同様のものが出ているので、大名が特別な儀式に使用した後、廃棄したものとみられている。大きさは3a×6aほど。
●宇佐神宮境内のSL「クラウス号」、修復のために北九州へ  9・14  合同
宇佐神宮境内内に保存されている、明治期のSLが、来年5月の修復完了をめざして北九州へ運ばれました。このSLは1891年ドイツクラウス社製の10型式。同型式のものは日本で3体だけ残っているとのこと。1965年に廃線になった宇佐参宮鉄道で、1948(昭和23)年から廃線まで活躍していた。
今回、宇佐の産業文化財を後世に残し顕彰しようと「走れクラウス号!2001人計画実行委員会(西太一郎委員長)」が修復保存を計画した。広く協力を求めるため、一口五千円で文化財スポンサーを募っています。問い合わせは、事務局の宇佐ライオンズクラブ(0978-37-0981)

南側から方形周溝墓2基 宇佐市の別府遺跡    9・8 合同新聞
宇佐市教委は七日、宇佐市別府の別府遺跡南側の発掘調査結果を発表した。四世紀後半から五世紀と推定される方形周溝墓二基と、弥生時代後期(三世紀末)のものと思われる小児用合口甕(かめ)棺一基を発見。
方形周溝墓からはそれぞれ、保存状態の良い人骨などが見つかったことが分かった。  
これまで、別府遺跡は北側の調査が中心で、これまでに弥生時代後期の環濠(かんごう)集落や古墳時代の集落の跡、古代の役所と思われる建物跡などが見つかっていた。同市教委は、今回の調査場所周辺にも墓地がある可能性があるとして「北側の調査結果と合わせ、弥生時代から古墳時代の社会構造を明らかにする手掛かりとなるだろう。また、これだけ保存状態の良い人骨の発見は市内では初めて。詳しい調査を通じ、当時の人々の生活などを知る手掛かりにしたい」と説明している。  
一号方形周溝墓は、石棺部分が長さ約二m、幅〇・四五m、深さ〇・六m。周溝部分は一辺約十二mで、溝幅は一・四m。ほぼ完全な形で人骨が残っており、身長一・六m前後の成人と推定。副葬品として鉄鏃(てつぞく)二点と、竹製の竪櫛の一部(長さ約二cm)が見つかった。  
二号方形周溝墓は石棺部分が長さ一・六m、幅〇・四m、深さ〇・五m。周溝部分は一辺約六mで、溝幅は〇・八m。一号墓ほど状態は良くないが、人骨が一体残っていた。  
石棺は板石を組み合わせた箱形で、内部には赤色顔料が塗られていた。  
同市教委は九日と十日に現地説明会を開く。人骨は十一日から十二日にかけて、九州大学の田中良之・大学院比較社会文化研究所長が詳しく調べ、年齢や性別などを割り出す。さらに人骨を同大学に持ち帰り、二体の血縁関係の有無などを細かく調べる。    
★鳥原平遺跡ー公共事業見なおしの影響
山梨県北巨摩郡白州町に所在する縄文時代から中世の 遺跡

「8月31日に、白州町教育委員会の鳥原平発掘調査体制は、 すべて解散となりました。 
調査原因である区画整理事業が、 (このところマスコミ等でも話題の)「
採択から5年以上着工できず、 中止を含めた検討をされるべき公共事業」の対象になりつつある、 との判断が [ どこか ] でなされ、7月末にいきなり調査負担金を 打ち切られてしまったからです。」 [とりはらだいらNEWS(9/2)より引用] とのことで、鳥原平遺跡群をとりまく今後の動向にも注目です。 今後も公共事業見直しの余波が全国各地に影響を与えることは 想像に難くないことと思います。公共事業の見直しも悪くはないです けれど、もっと丁寧で慎重な行政のあり方が求められるところでは。 (記事・齋藤)  arc-net news 9・9から。
ほぼ完形品の「衣笠形埴輪」 大分市里 辻古墳から出土  9.1 合同
大分市教委が発掘調査をしている同市里の辻古墳(一号墳)から、衣笠(きぬがさ)形埴輪(はにわ)が出土した。県内では、破片で見つかるケースはあったが、今回のような完形品に近いものは珍しい。  
見つかった埴輪は、復元すると高さ五十cmほどの衣笠形。笠の部分とその上の飾りの数個体分が古墳の周溝から出土した。辻古墳は近くにある国史跡「亀塚古墳」(五世紀初め)より新しい五世紀末
既に道路工事などで大幅に削られ、円墳か前方後円墳かはっきりしない。辛うじて周溝(大きいところで幅約五m)と、周溝を含む直径二十六mほどの半円形だけが原形を推測させている。  
衣笠は古代、王や貴人に差し掛けた傘。県内では埴輪片として大在古墳など数カ所で見つかっている。辻古墳からはこのほか、家形や動物?の形象埴輪、朝顔形の円筒埴輪の破片、人頭大の葺(ふ)き石、須恵器(すえき)の坏や器台なども出土している。市教委は亀塚古墳など海部(あまべ)の王に連なる古墳の一つではないかとみている。                     

◎辻古墳(9月1日)−大分県−  
大分市の辻古墳(同市里の辻)から、ほぼ完形品に近い衣笠形埴輪が発見された。見 つかった埴輪は、高さ約50cm(復元値)ほどの衣笠形。笠の部分とその上の飾りの数個 体分が古墳の周溝から出土した。同古墳は5世紀末のものとみられ、工事などで周溝を 含む直径26mほどの半円形だけが残り、円墳か前方後円墳かはっきりしない。同古墳か らはこのほか、家形や動物の形象埴輪、朝顔形円筒埴輪の破片、人頭大の葺き石、須恵 器(すえき)の坏や器台なども出土しているという。 考古学情報78・2000・9・8
◎中世大友府内城下町跡(9月4日)−大分県−  考古学情報78・2000・9・8
大分県教委が調査している中世大友府内城下町跡の16世紀後半の溝から、「万寿」の 文字の入った土製の念持仏が出土した。出土した念持仏は頭部が欠損し、胴体部のみが 見つかっている。素焼きの土製のもので、右膝部分に篆書で「万寿」の文字の記載があ るという。
◎亀石山遺跡(9月4日)−大分県−  考古学情報78・2000・9・8
天瀬町にある亀石山遺跡を調査している同町教委は、後期旧石器時代終末を中心とす る石器群の出土を確認した。出土石器は4700点以上にのぼり、半数以上が細石刃で石核 は2点しか発見されていないという。石材は石材は腰岳産の黒耀石が大部分を占め、大 野川流域産の流紋岩も一部含むという。
考古学情報78・2000・9・8
◎大波羅遺跡(9月4日)−大分県−  
大分県教委が発掘調査している大波羅遺跡(日田市)から、縄文晩期と弥生中期の水 田水路跡や井堰の跡などが発見された。水路内からは縄文晩期の木製鍬の刃と思われる 木片なども出土し、今後は水田跡調査のためにプラントオパールの分析をおこなう予定 だという。 考古学情報78.2000・9・8
以下の二つのニュースは福井県の事ですが、恐竜は安心院町、駅の立体交差に伴う発掘は大分市にそれぞれ関係すると思われますので、転載しました。
★恐竜エキスポ来場者60万人突破・目標70万人に (9月4日 )  福井
勝山市長尾山総合公園の「恐竜エキスポふくい2000」メーン会場来場者が4日、当初目標としていた60万人に達した。開幕から47日目で、会期(17日まで)がまだ残っており、実行委では次の目標を70万人以上に置いている。  
60万人目となったのは愛知県犬山市の主婦、山下香奈子さん(27)。同日午後1時10分ごろ、夫の憲博さん(32)ら家族4人でウエルカムゲートをくぐるとくす玉が割れ、大きな節目の来場を知らされた。  
記念セレモニーでは、エキスポ実行委会長の栗田知事から認定証とフクリュウの縫いぐるみが手渡された。香奈子さんは「突然でびっくりしました」と驚いた表情だったが、「いい記念になります。息子たちと一緒にたくさんの恐竜に出会ってきます」と喜んでいた。  
栗田知事は「開幕当初の出足が鈍く心配したが、目標をクリアできてほっとしている。全国に十分、恐竜王国をアピールできていると思う」と話した。実行委では「今後は小中高校の団体客など県内を中心に来場者が見込める。最終的に70万人以上が訪れてくれるだろう」としている。
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連続立交で埋文調査始まる・来月から150人体制 (9月4日)   福井
県が進めるJR福井駅付近連続立体交差事業で、高架化工事に入る前の埋蔵文化財調査が4日、始まった。当面約30人の体制で作業するが、10月中旬からは通常の調査の5倍に当たる約150人の作業員が投入される。  
この日は、県埋蔵文化財調査センターの職員や作業員約30人が、レールが撤去された延長約800メートルの調査対象現場のうち城の橋陸橋付近の幅約10メートル、長さ約30メートルほどの区画の発掘に取り掛かった。土を搬出するベルトコンベヤーも組み立てられた。  
試掘が済んでいない他の区画の地下にはJRのケーブルがまだ残っている可能性があるため、ケーブル撤去と試掘を同時並行で行い、準備が整った区画から順次発掘を行う。  
調査の対象面積は約2万8千平方メートルで県内最大規模。これを約1年半で終了させるため、本年度は最大150人、来年度は同200人の作業員を投入する。10月中旬からは30人を1班として、5区画で同時に発掘作業をする。  
調査は江戸期、奈良・平安期の二層の遺構面が対象。現場は福井城の城郭内で、中堅層以下の武家屋敷が並んでいた場所。レールの下はあまり開発の手が加わっておらず良好な保存状態が見込まれ、武士の生活実態や武家屋敷の変遷過程の解明に期待が持たれている。また福井城の百間堀があった場所も調査区域に含まれている。

★2000年09月05日 吉野ケ里歴史公園整備進む   佐賀新聞 9・5
「魏志倭人伝」の世界を体感できる「吉野ケ里歴史公園」(神埼郡)の開園日が来年四月二十一日に決まった。開園するのは第一期区域で、総面積約百十七fのうちの四十七f分。国営歴史公園としては奈良県の「国営飛鳥歴史公園」に続く全国二番目の施設となる。全国的な話題となって十三年目、遺跡保存、学術研究に体験型観光を盛り込んだ「弥生のテーマパーク」がオープンする。  
建設省と県、神埼町などの地元三町村は、開園日からゴールデンウイークにかけて約二週間の開園イベントを検討している。  
第一期区域は国営区域十六f、県営区域三十一f。三つのゾーンに分かれ、急ピッチで整備が進んでいる。公園のシンボルとなる「環濠集落ゾーン」の北内郭では十一棟の復元建物のうち、物見やぐら三棟の足場がはずれ、公園区域外からもその姿が見えるようになった。王座を備える二層三階建ての祭殿(高さ約一六・五b)は覆いの中で、中層の屋根板張りが進んでいる。  
「入り口ゾーン」にはレストランや売店、多目的ホールなどを設置。「古代の原ゾーン」では水田遺構や弥生の草地風景を再現し、物見やぐら風の木製遊具や迷路などを設ける。  
入園料は大人四百円、中学生以下八十円で検討、開園時間は午前九時から午後五時までを想定している。開園一年目、百二十万人の入園を目指す。
★田和山遺跡をめぐり市議会総務委員会開催
松江市立病院の移転先として市が破壊から部分保存に方針転換した田和山遺跡(乃白町) の扱いをめぐり、30日、市議会総務委員会が開かれた。 
文化庁は部分保存での国史跡 指定は困難との見解を示しており、委員からは「国史跡の指定が得られるか分からない 中途半端な案」などの批判が相次いだ。市教委文化財室長は近く文化庁を訪れ協議する 予定だが、文化庁、議会からの賛同が得られない場合、市は、さらに部分保存案の再検 討を余儀なくされそうだ。考古学情報9.2

★田和山遺跡(8月29日)−島根県−  
遺跡の存廃問題で話題となっている松江市の田和山遺跡(同市乃白町)で、遺跡鑑定 人(松木武彦・岡山大助教授)による鑑定が行われ、山頂部に確認されている2棟の建 物跡のほかに、東側や北東先端部にも何らかの建物の存在が指摘された。新たな遺構が 見つかったことで、今後の遺跡をめぐる住民訴訟の行方にも影響を与えそうだ。山頂中 央部で確認されている9本の柱穴跡については、北西側の4本は底面レベルがほぼ同一 であることから、同時期の可能性が高いとしたものの、最初から9本柱だったわけでは なく、いろいろな建物の変遷があった可能性もあるとの見解を示している。山頂の北東 先端部については、中央部との間に浅い溝状の遺構を確認しており、先端部にしっかり した柱穴が残り、つぶて石が比較的多く出土している状況から、建物があった可能性と ともに遺跡主要部である山頂エリアとのつながりも指摘する。松木鑑定人は、今後は最 低2回の調査が必要とし、次回は前回の調査で確認された第1環壕外側の土塁遺構を調 査する予定だという。考古学情報77
★「船形埴輪は地元に」 松阪の市民団体が署名集める
三重県松阪市宝塚町の国史跡・宝塚1号墳から出土した全国最大の船形埴輪を地元に残 そうと、市民グループ「古代ロマンの連」が進めていた署名活動が28日、終了。市内外 から14000人を超える署名が集まった。考古学情報77 --------------------------------------------------------------
 ○竹田の遺産 後世に 久戸谷旧隧道など3件市指定文化財に  9.1 合同
 竹田市は、明治初期の素掘りのトンネル「久戸谷旧隧道(ずいどう)」(市内竹田)など市内の史跡や石造物の計三件を、市指定文化財に指定した。久戸谷旧隧道は近代初期のトンネルの“ルーツ”として、文化財保護グループから早期の文化財指定を望む声が上がっていた。  
久戸谷旧隧道は、長さ百・九m、幅二・一m、高さ二・八mの人馬道。一八七三(明治六)年に着工して翌年、完成した。県道の現トンネルの上に平行して掘り抜かれている。一八九三年に現トンネルが掘られ廃道になったが、掘削当時のまま現在まで残っている。  
現在、国道502号バイパスの新トンネルが、旧隧道と直角に交差する形で計画されている。当初、新トンネル工事に伴い旧隧道の一部が削り取られることになっていたため、三年前に文化財保護グループが市に現状保存を要望。市は新トンネルの設計位置を予定より高くして削り取る部分をなくした。旧隧道が新トンネルと交わる部分(約二十m)は内側から鉄骨で補強して現状保存することにした。  
保存活動をしていた鳥養孝好さん(当時「竹田・直入の自然と文化を守る会」事務局長)は「文化財指定は大変喜ばしい。保存することで、交通近代化に努力した先人の苦労を知ってほしい」と話している。  
久戸谷旧隧道のほかに、四面に釈迦(しゃか)像や地獄絵を彫った室町時代に造られた「二俣六地蔵」(市内九重野)、江戸時代の各藩使者の宿泊所「御客屋敷」の跡地(市内竹田)を市指定文化財に指定した。                  


◎聖嶽洞穴(8月28日)−大分県−  
昨年12月に大分県にある聖嶽(ひじりだき)洞穴(本匠村)で発見された旧石器時代 のものとみられていた人骨は、骨のフッ素含有量の測定などから、約550年前のもである ことが判明した。聖嶽洞穴は標高約240mの急斜面に入り口があり、長さ約45mの鍾乳 洞。1961年から1962年にかけて日本考古学協会の発掘調査で、後期旧石器時代の細石器 と同じ地層から人頭骨の一部が見つかっている。昨年12月の再調査によって前回調査と 同じ地層から、足の指の骨(長さ24cm)や永久歯など人骨4片が見つかっていた。今 回の測定結果を踏まえ、発掘調査団(団長・橘昌信別府大教授)では聖嶽洞穴の年代を 含む再検討が必要となりそうだ。 考古学情報 8.30
★田和山遺跡訴訟/費用支払い双方拒否
市立病院移転計画で田和山遺跡(松江市乃白町)を破壊するかどうかを巡って争われて いる住民訴訟の学術鑑定で、新たに確認された土塁の調査費用の支払いについて、被告 の市、原告の市民団体代表がともに拒否し、調査の進展に支障が生じている。
★弥生ロマンを地域活性化に生かす  
西日本で有力な弥生時代の遺跡を持つ4町長が集まり、弥生ロマンのエネルギーを地域活性化に生かす方策を探るシンポジウム「新・邪馬台国連合inたくま」が27日、詫間町のマリンウェーブで行なわれた。登壇した各町長は、約800人の聴講者を弥生の世界へと引き込んだ。四国新聞 8.28
○大文協「海部憧憬パートU」が23日夜、大分市大在の長光寺で開催されました。 
 県立博物館副館長の真野和夫さんが「海部地方の歴史的重要性」と題して講演しました。
 全国の海部地方の中でも「県内ほど海部の主が眠る前方後円墳がはっきりと分かっている所はない」と指摘。現存する大宝二(702)年の戸籍14件のうち、4件もが海部など県内に残っていることも紹介、「これほど日本や地元の歴史研究や学習に適した地域はない」と話しました。
講演後、地元在住で、元県立風土記の丘歴史民俗資料館(現・県立博物館)館長の工藤勝武さんが「中安遺跡は全国的にも貴重な遺跡。地元から残すようにと言わなければ」と述べられました。
地元から約80人が参加。「今後も地元の歴史を学びたい」、「文化を作るのは地元の住民」といった声があがっていました。
 大文協は今後とも学習会を続けるつもりです。大分市民、さらには県民の広い参加を願っています。

★田和山遺跡全面保存を求め3市民団体が要望書提出
松江市が取り壊しから部分保存へと方針を一転させた田和山遺跡(乃白町)をめぐり、 3市民団体が24日、全面保存と国指定史跡化を求める緊急要望書を松浦正敬市長に提出 した。松江市は国史跡の指定に自信を見せるが、文化庁は「遺跡が完全な形ではなく、 指定はできないだろう」との認識を示しており、市と市教委の対応が注目される。 -----------------------------------------------------------------------------
★「大浦古墳公園」建設へ −きらら博道路工事で発見 山口きらら博のためのアクセス道路建設に伴う発掘調査で、山口市南部に見つかった古 墳群を生かした「大浦古墳公園」が、地元の強い要望によって実現。 考古学情報74
★松江の田和山遺跡、部分保存へ方針転換
新市立病院の建設予定地となっている松江市乃白町の田和山遺跡について、同市の松浦 正敬市長は23日、従来の記録保存から部分的な現状保存へ方針転換したと発表した。新 市立病院を建設しながら遺跡の一部を残す「折衷案」となる。今後、同遺跡の国史跡指 定を目指すが、文化庁は全面保存ではない史跡指定に強い難色を示している。 考古学情報74
★松江の田和山遺跡、部分保存へ方針転換 '00/8/24   中国新聞
新市立病院の建設予定地となっている松江市乃白町の田和山遺跡について、同市の松浦正敬市長は二十三日、従来の記録保存から部分的な現状保存へ方針転換したと発表した。新市立病院を建設しながら遺跡の一部を残す「折衷案」となる。今後、同遺跡の国史跡指定を目指すが、文化庁は史跡指定に強い難色を示している。  
松江市の説明によると、田和山遺跡の北東半分を削って、病院の造成用地を確保する計画。また、南側丘陵との間にある谷部分を削ってアクセス道路を通す。建物跡がある山頂部分は残るが、三重環壕(かんごう)の半分と、北東斜面に集中する住居跡は削られる。病院建設用地は四・五ヘクタールから二・九ヘクタールに減るが、病院機能は当初計画通りという。  
松浦市長は、県教委と文化庁による現状保存の指導と、高まる世論を背景に先月中旬、担当部局に新市立病院建設と遺跡の保存の両立案を策定するよう指示した。市教委は二十二日、まとまった同案を県教委に打診した。  
松浦市長は「人の命を守る病院建設を大前提にしながら、遺跡保存との両立を図った。保存方法は文化庁などと協議して決めたい」と話している。  
同市は今後、県教委などと連絡しながら遺跡の国史跡指定を申請する方針。しかし、
文化庁記念物課の惣脇宏課長は「方針転換は評価できるが、遺跡の特徴が大幅に損なわれる案で、国史跡指定は難しい。さらに検討をお願いしたい」と話している。県教委の文化財課も「なるべく全部残してほしい」と話している。   妻木晩田遺跡の保存運動に携わった関西外語大の佐古和枝助教授(考古学)は「遺跡の半分しか残さないのでは、遺跡が死に体になる。残す意味を失った保存案だ。ぜひ全面保存を実現してほしい」と話している。  
部分保存では「国指定」に影響  《解説》 松江市の松浦正敬市長は二十三日、田和山遺跡(同市乃白町)の部分保存方針を打ち出した。同市は、宮岡寿雄前市長のときから一貫して全面取り壊しの記録保存を打ち出していただけに、大幅な方針転換となる。世論の高まりや専門家の指摘を受け入れ、病院との両立を探った点は評価できる。しかし、遺跡の保存方法として課題は残る。  
最も懸念されるのが、遺跡の国史跡指定。国の文化財保護審議会を経て国史跡に指定されれば、国から遺跡整備費用について約半分の補助を受けられ、学術価値があることがはっきりする。また、開発には許可が必要になるため、遺跡を大きく破壊される恐れがなくなる。  
しかし、
近年は遺跡の大幅な形状変更があった場合、史跡指定されない傾向にある。文化庁も「田和山は三重の環壕(かんごう)とその外側にある住居跡が特徴。それが半分削られるなら国史跡指定はできない」と話している。  
また、遺跡の保存として中途半端な感がぬぐえない。大幅な方針転換にかかわらず、市民団体から歓迎の声は少ない。田和山をみる女性たちの会の加藤尚子代表は「全面保存しないと遺跡の価値は伝えられない」と批判。田和山遺跡を考える会の田中義昭・元島根大教授は「遺跡の性格を理解して、現状保存を追求してほしい」と訴える。  
「一度走り出したら止まらない」と批判が集まる公共事業で、さまざまな意見を吸収して方針転換した姿勢は注目に値する。ただ、
遺跡の保存は、全国的に全面保存がすう勢。財政的な問題もあるが、レイアウト変更や用地取得などを検討し、遺跡を全面的に保存する方法を探ってほしい。(野崎建一郎)
●弥生時代に都市計画-日田市・吹上遺跡  8.11   合同新聞
 県史跡に指定されている日田市吹上遺跡で、10日までに台地の周辺部を巡るとみられる弥生時代後期後半(二世紀末〜三世紀)にかけての環濠と、この環濠にT 字状に交差するまっすぐな溝(条溝)が見つかった。
 環濠は幅2.8bで、長さ10b以上にわたって台地の北端を東西にめぐっているのが確認された。これとT 字状に交差する条溝は幅0.7〜2.5b、深さ0.7〜1.2bのV字溝。今回は22bが見つかったが、昨年の発掘された分と合わせると延長約100bにわたって台地を南北に横切っている。
 また環濠のすぐ外側に幅0.6b、深さ0.2bの小さな溝が平行に巡っているのも見つかった。
 調査担当の別府大学文学部の下村智助助教授は「台地全体を取り囲む環濠の中に集落があり、その集落の中を条溝で区画し、階層によって住む場所を分けていたのではないか。区画用の条溝は台地上に何本か掘られていた可能性がある」と説明。
 現地見学をした小田富士雄福岡大学人文学部教授は「弥生時代に現代の都市計画に通じる計画的な集落配置があった可能性も視野にいれながら、これからもきめ細かな調査を続けることが重要」話している。

★保存活用へ10項目 
妻木晩田遺跡 国史跡・妻木晩田遺跡(大山、淀江両町)の第4回保存活用検討委員会(委員長・金関 恕大阪府立弥生文化博物館長)が2日、大山町末長の町総合福祉センターで開かれ、県 教委が保存活用基本構想の10項目の骨子を示した。骨子をたたき台に同委員会で議論を 深め、県教委が年度内に基本構想をまとめる。
★3遺跡交流こどもフォーラム  
吉野ケ里遺跡、原の辻遺跡(長崎・壱岐)、平塚川添遺跡(福岡・甘木)の地元小学生による「3遺跡交流こどもフォーラム」が3日、神埼郡の吉野ケ里遺跡で始まった。全国的にも珍しい「姉妹遺跡」締結以来2度目の交流で、初日は吉野ケ里遺跡の見学や発掘を体験した。4日まで。  
子どもたちの交流を3遺跡の幅広い連携につなげるのが狙い。三田川小、神埼小、東脊振小の県内組30人をはじめ3県から小学6年生約100人が集まった。  
子どもたちは開会式の後、遺跡を見学。高さ12メートルの物見やぐらや高床式倉庫に関心を示し、係員の説明を熱心に聞いた。発掘体験では弥生時代中期の集落跡を任され、土器の破片ややじりなどを次々と掘り出した。  
最終日の4日は三田川町総合福祉保健センターでこども会議を開き、弥生時代の衣食住について研究発表するほか、国立歴史民俗博物館の佐原眞館長の講義がある。

★山口大キャンパスは郡衙跡?・吉田遺跡(8月2日)−山口県−  
山口大埋蔵文化財資料館は1日、山口市の同大キャパス内の吉田遺跡で、7世紀末か ら8世紀初頭の須恵器製円面硯(えんめんけん)の破片や墨書土器片、製塩土器片など 遺物約500点が出土したと発表した。円面硯片が見つかったことで、資料館は、付近一 帯に奈良、平安時代の郡衙(ぐんが)のような役所跡があった可能性が高い、としてい る。
田渕遺跡現地見学会のお知らせ
田渕遺跡は古賀市の土地区画整理事業に伴い市教委が発掘。規模や建物の配置から、大 和朝廷が筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の乱(527〜8年)後に直轄地とした「粕屋 の屯倉」の可能性が高いとされている。
日 時:8月5日(土)午前10時から午後3時まで ※雨天の場合6日に順延。 問い合わせ:古賀市教委社会教育課(電話092−942−1111、内線421)。
※マイカーで見学に訪れる場合は古賀市役所の駐車場を開放、現地まで送迎車を運行す る。

★古賀・田渕遺跡 市長に本格調査要請
日本書紀に記された「粕屋(かすや)の屯倉(みやけ)」と見られる遺構が確認された 古賀市鹿部の田渕遺跡について、福岡大の小田富士雄教授(考古学)が31日、同市の中 村隆象市長に周辺部も含めた遺跡の本格調査を要請した。
●庭園につながる溝?出土 -大友館南側  31日 合同新聞
大分市上野六坊町の大友・中世府内城下町遺跡から大友館跡・庭園(池)遺構につながるとみられる溝が出土した。JR大分駅高架化などに伴い、約二万平方bを対象に、県教委が発掘中。調査の邪魔にならない程度に見学できます。
 出土した溝は大友館跡・庭園遺構の南側。幅3bほどで、現状の深さは70a〜1bほど。時期は出土した土器から、16世紀後半の宗麟時代と見られる。溝は庭園の池跡につながるよう南北に延びている。
調査はこれからがピークだそうで、日豊線の南側で線路に沿うように東西約5百b、幅数十b。国道10号線のJR跨線橋からよく見える。
●大友関連遺跡の保存を考える会が8月5日に講演会と報告会を開催します
内容 1、講演会 14時〜15時30分
「大友宗麟と南蛮貿易」 講師 加藤知弘 大分大学名誉教授、大友関連遺跡の保存を考える会会長
2、報告会 @中安遺跡問題報告 A臼杵・宗麟城下町遺跡発掘調査報告
場所 アートプラザ 研修室
★平城京跡地下トンネル撤回要望書提出-日本歴史学協会  29日 しんぶん赤旗
 国特別史跡・世界遺産である平城京の地下に、京奈和自動車道を通すという、建設省の計画に対して、地下水脈が立ち切られ木簡をはじめとする木質の埋蔵文化財に壊滅的な打撃を与えることを懸念して計画の撤回をもとめたということです。
★浪岡の高屋敷館遺跡を国史跡申請
浪岡町は24日、平安時代の環濠(かんごう)集落として全国有数の規模を持つ同町の高 屋敷館遺跡を国史跡に指定するよう、国に申請した。順調にいけば年度内にも指定を受 けられる見通しで、同遺跡の保存、活用が具体化する。一方、同遺跡の扱いをめぐり中 断されていた国道7号バイパス建設事業は、同遺跡をう回する新ルートの都市計画変更 手続きが行われるなど早期再開に向けた準備が進められている。 ----------------------------------------------------------------------------- 2000.7.28考古学情報
★近代化遺産、県内初の総合調査実施へ 高知県教委  
日本の近代化の歩みを今に伝える構造物など近代化遺産の県内調査が本年度から行われることになり二十七日、調査説明会が高知市の県庁正庁ホールで開かれた。本県で近代化遺産の総合調査が行われるのは初めてで、県教委は市町村の協力を得て県内をくまなく調査。重要遺産を選定し、十三年度末までに報告書をまとめる。  
 近代化遺産は、おおむね幕末から第二次世界大戦終了までに、近代的な手法で建設された土木構造物や建物を指す。橋やトンネル、鉄道、工場、民家などさまざまな構造物や建物が対象となる。  
 本県ではこれまで、近代化遺産の全県的な本格調査は行われておらず、その保存や活用の措置もほとんど講じられていないのが現状。こうしたことから県教委は、文化庁の補助も受け、近代化遺産の分布や実態把握、保存のための基礎資料づくりを目的に調査に乗り出すことになった。  
 この日の説明会には県内の調査員や市町村担当者ら約百三十人が出席。まず文化庁建造物課の堀勇良・主任調査官が全国各地の近代化遺産をスライドで紹介しながら調査方法などについて解説。「農業用水をたどっていくといろんな構造物に出合える」「高知では漁港や航路標識などが期待できる。多方面からリストアップしてほしい」とアドバイスした。  
 さらに県文化財保護審議会の溝渕博彦委員が、室戸岬灯台や馬路村の森林鉄道跡など県内の近代化遺産を紹介。具体的な調査の進め方などの説明も行われた。  
 調査は今後、基礎調査で千件程度を目標にリストアップするなどした上で、県内の建築、土木などの専門家で組織する「近代化遺産総合調査委員会」で五十−百件程度の重要遺産を選定。詳細調査なども実施し報告書を刊行する予定。  
 
県教委文化財保護室は「調査を通じて近代化遺産への認識も深め、文化遺産としての価値を見いだしていくことが大切。中には現在も住居などで使われているものもあるが、調査への協力をお願いし、文化財として残していけるものは積極的に残していきたい」と話している。  
注・市町村の担当者ら約130人を集めて開かれた県近代化遺産総合調査の説明会(県庁正庁ホール)の写真がついてました。
●「湯布院らしい風景を!建築ガイドブック配布へ  28日  合同新聞
町並みも十分に文化財といえますが、なかなか日本では関心が薄いようです。このたび、「ゆふいん建築・環境デザイン協議会(中谷健太郎会長)が「湯布院も年々地域性や個性のない町になって行きつつある。自らつくり、守るべき湯布院の風景イメージを形としいぇ示そう」と「ゆふいん建築・環境デザインガイドブック(町民普及版)」を作成し、8月上旬に町内会に無料配布するそうです。
 湯布院らしい風景として@こぢんまりとしたたたづまいA自然や道、隣の敷地とのかかわり合いを大切にしているB豊かな自然を引き立たせ、うまく同化し、まじんでいる-の3原則を掲げている。
希望者には実費で配布するそうです。
連絡先-事務局の由布院観光総合事務所(電話0977・85・4464)
●美術教育関係資料など二万点を寄贈-玖珠町   28日  合同新聞
玖珠町は佐伯市の故清田義男さん(98年死去)から寄贈された美術教育関係の資料や製作道具類、国内外の碑文の拓本など二万点を、保存のため整理作業をしています。将来、森地区に建設を予定している歴史民俗資料館でこれらを展示、公開する予定にしているそうです。
 生前、清田さんは玖珠町の童話の里づくりに共鳴、郷土玩具や民芸品、木版画集などを寄贈されたそうで、その縁で「研究物はすべて玖珠町に贈りたい」と遺言されたそうです。
 資料館が一日も早く建設され、故人の意思が実現されるよう期待したい。
●国東町・小、中学生郷土教室-弥生人の暮らし体験 28日 合同新聞
 国東町安国寺で26日、町内の小中学生対象に夏休み郷土歴史教室が始まった。来春オープン予定の、弥生時代を再現した安国寺集落遺跡史跡公園内の体験学習館と弥生の水辺(田深川)を使って、5回の講座を八月二十三日までの毎週水曜日に開講するそうです。
 文全協30回大会で報告をしていただいた金田信子国東町歴史民俗資料館館長らが挨拶のあと、さっそく第一回の講座が行われたそうです。同教室は、1976年から続いており、25回になるそうです。
★島根・田和山遺跡-「国指定の史跡に値する」文化庁表明  7.27 しんぶん赤旗
 文化庁の惣脇宏記念物課長が25日、文化庁に遺跡の保存を要望した「田和山遺跡を考える会(田中義昭代表委員)」にたいし、回答したもの。
 また、7日に文化庁が県教委に示した「国指定史跡に値する」との回答に、松浦市長が「一調査官の意見」とのべたことを田中代表がただすと、惣脇課長は「記念物課の合議」とし、「県教委に保存に向け市教委を指導するよう伝えている」と述べました。参加者からの訴えに,文化庁側は「残していただけるなら整備に補助を付けることができる」とのべました。
  25日に要望したのは上記団体のほかに、同残す会や同遺跡を見る女性達の会、鳥取県の晩田山の遺跡保存連絡会、文化財保存全国協議会、明治大学考古学博物館友の会など。日本共産党の中林よし子衆院議員も同席したそうです。
●日田・長者原遺跡現地説明会(7・22)   合同新聞 7.23
日田市教育委員会は22日、古墳時代中期(五世紀)の竪穴式石室や人骨などが見つかった市内石井町二丁目の「長者原遺跡」で現地説明会を開きました。大勢の地元の方々が訪れたそうです。市教委文化課の若杉さんが解説。「長者原台地には古墳時代、大規模な墓地があったのではないか」と話しました。見学者からは「この一体を遺跡公園にしてはどうでしょうか」と夢を膨らませていたそうです。宅地造成にともなう緊急調査ですが、開発者、市教委には、県民の歴史的史跡の保存に対する誠実な対応を願いたい。
★草木染め「バンダナ」製作、妻木晩田遺跡
国史跡の妻木晩田遺跡を抱える大山町の女性グループが、遺跡の関連商品を開発して町 おこしをしようと、遺跡から出土した四隅突出型墳丘墓をデザインしたバンダナを製作 した。 考古学情報7.20
★白河・舟田中道遺跡問題/地権者、保存に同意
白河市舟田の豪族居館跡「舟田中道遺跡」の保存問題で、同遺跡周辺の地権者は17日、 地元の集会所で地権者総会を開き、遺跡保存に同意することを決め、白河市側に伝えた。 考古学情報・2000・7.20
★島根・田和山遺跡-文化財保存全国協議会(文全協)、松江市長らに協議要望  7.21 しんぶん赤旗
 文全協は田和山遺跡を国の史跡に指定するために、県、文化庁と協議するよう松浦松江市長と原教育長に電報をうちました。文全協は5月に現状保存と活用を求める決議を採択。松江市、同教育長に要望書を提出しています。
●竪穴式石室から人骨-日田市・長者原遺跡    合同新聞 7.20
日田市石井町二丁目の長者原遺跡で、古墳時代中期(五世紀)の竪穴式石室二基から、保存状態の良い人骨四体が見つかった。同遺跡は筑後川左岸の標高約120bの台地にある。今回は宅地造成に伴い市教委が五月から調査していた。内部はベンガラで塗られている。また、他に同時代の石棺墓や弥生時代後期の環濠も見つかっている。環濠が筑後川左岸で見つかったのは日田市内で初めてとのこと。
 22日現地説明会・午前10時と午後2時からの2回。石井小学校と五和公民館が臨時駐車場です。
問い合わせ先・日田市教委文化課 (0973・23・3111 内線642)
★鳥取県知事が「青谷上寺地遺跡」の全面保存に否定的認識を示す
片山善博鳥取県知事は、17日の定例会見で青谷上寺地遺跡全容解明を希望しつつ、遺跡 の全面保存については「道路で計画されたものなので、保存するのは難しい」との否定 的認識を示した。 
★鳥取県知事が「青谷上寺地遺跡」の全面保存に否定的認識を示す。 片山善博鳥取県知事は、17日の定例会見で青谷上寺地遺跡全容解明を希望しつつ、遺跡 の全面保存については「道路で計画されたものなので、保存するのは難しい」との否定 的認識を示した。 考古学情報
●臼杵は「生きた中世の町」   18日 合同新聞
 臼杵市では現在、本町で「うすきケーブルネット」本社屋建設にともなう緊急調査を行っています。
その結果、大友時代(16世紀)を物語る町並み遺構が出土。街路が現在とほぼ同じであったことがわかった。市教委では大友時代と街路が同じとすれば、当時あったとされるキリスト教の「教会の場所が特定できるかもしれない」と期待している。
 また、大分市・府内城下町遺跡と同じように、中国や朝鮮、タイやビルマ産と思われる輸入陶磁器も出土。「南蛮貿易で栄えた国際色豊かな城下町だったことも裏付けている。」
5月下旬から、約五百平方bを対象に調査しているとのこと。


●三重町史談会(上野卓男会長・33人)-町内の庚申信仰についての資料集を発行。 7.13 合同新聞
 5年間の調査で町内に六百二十四の庚申塔を確認。銘文や特徴を記録したそうです。
 資料集はB5版・百四十一n。二百五十部を製本し、区長会で各区に配布したそうです。若干の余裕があり、千二百円で販売するそうです。問い合わせは、三重町社会教育課(0974・22・1001)
 
●島根県田和山遺跡-文化庁「国指定史跡に値する貴重な遺跡」と回答。 しんぶん赤旗 7.13
 文化庁が島根県教委に、田和山遺跡について「国指定遺跡に値する」と回答したそうです。
また回答の中で、文化庁は
「普通の環濠集落と異なり、祭祀空間をとりこんだ上、環濠外側に住居跡が存在するという、例のない独特な環濠集落であり、学術的に価値の高い遺跡」とのべているとのことです。松江市の松浦市長は4日の議会答弁で「1998年県から記録保存やむなしとの回答をもらっている。現在も記録保存に変わりがないことを確認した」とのべているとのこと。
 田和山遺跡を考える会の田中義昭代表委員は記事の中で「文化庁もその価値を認めたということ。市長は文化庁や県教委と相談するといっていたが二者がそういっている以上、外堀がすべて埋められたことになる。記録保存にこだわれば市は前代未聞の恥をかく。いっそう保存運動を強めたい」と語っています。

●佐伯史談会(矢野徳弥会長)
 9日午前10時から佐伯図書館で「会員研究発表会」を開きます。入場無料。今回の発表者は二人。 「鎌倉時代の佐伯一族と佐伯荘相伝の過程」佐藤巧さん(佐伯市) 「古図からみた佐伯城」小野英治さん(弥生町)     問い合わせは、河野信夫事務局長      п@0972-22-7133
★長岡京東院跡の保存を求めて京大教授らが京都府に緊急アピール。
国内最大規模の離宮跡、長岡京の東院跡で日本電産(右京区)が7月中旬にも新本社ビ ルを着工すると明らかにしたことで、鎌田元一京都大教授(日本古代史)ら近畿の歴史 学者6人は4日、遺跡保存のあり方を問う緊急アピールを府に提出した。
●親鸞上人直筆の掛け軸か。  7.7 合同新聞
 佐賀関町室生地区に375年前から伝わるとされる掛け軸が残っている。年1回法要会を開いて信仰されていたそうです。善信(親鸞上人の俗名)の署名、花押入り。今年、不明のままだった内容を解読。浄土真宗の思想を表すものと分かった。由来の文書を所有する都広さんは「展示して一般に公開しては、といった意見もあるので、今後検討していきたい」と話していたとのことです。
由来の
●史跡探訪会―大分市各校民館文化教室 6月25日 7.6 合同新聞
 今年度第1回例会が6月25日に開かれました。29人が参加。市内大在・坂ノ市方面の史跡を見学しました。まず、城原の海部郡衙跡・中安遺跡。続いて亀塚古墳、同古墳資料館を訪ね、丹生地区の大友家第11代城主・親著(ちかあき)の墓を訪れました。いずれも専任講師の安部幸人同公民館長が説明をしてくれました。また、(略)坂ノ市地区の万弘寺では、宝珠慈光住職から寺や「万弘寺の市」の由来などを聞き、見聞を広めました。-大分市の日野さんの投書から。
田和山遺跡保存の署名を集めています。
 田和山を見る女性達の会が松江市長あての署名を集めています。
 署名取りまとめ先 п@0852-27-1107
             〒690-0033 松江市大庭町299 加藤尚子
●東京・高尾山「3000人集会と天狗の行進」
 7月23日に東京の八王子で圏央道反対16周年の集会と行進が予定されています。正午から裏高尾ジャンクション予定地内梅林
●滋賀県の皇子山を守る会の皇子山だよりに戦争遺跡に関するニュースがありましたので掲載します。(文全協会報「明日への文化財45号に同封)
  
八日市の戦争遺跡「掩体壕」の保存と史跡指定を!
 3月26日、皇子山を守る会100回記念例会として「滋賀の戦争遺跡を歩く・沈黙の掩体壕」を開催しました。(略)遠方の静岡や愛知から、戦争遺跡のプロ(遺跡を調査・測量し記録に残す作業を続けておられる文化財の方々)が駆けつけてくださり、「あれよ、あれよ」という間に掩体壕の測量をしてくださいました。(略)布引山の山麓、竹やぶの中の巨大な掩体壕を前にすると、初見の人も何度目かの人も、沈黙し真摯な表情となりました。(略)僅かに残った県下の戦争遺跡・掩体壕をぜひとも保存し、皆が活用できるようにしたいものです。掩体壕は修復も急がれており、速やかな史跡指定を要望します。(略)また、婦人民主クラブ滋賀支部が当会の取り組みを紹介してくれ、さらにこの6月には、滋賀県生活共同組合連合会が「滋賀の戦争遺跡を知る」講演会と掩体壕の見学会を開催、当会も掩体壕の測量図を展示しました。このように掩体壕の保存に対する関心は各所で広がりつつあります。皆さんのご支援をお願いします。連絡先 п@077(525)5927 松田 常子
 ⇔滋賀県でも戦跡保存に頑張っている方々がいて、勇気づけられます。

★県外のニュースですが、会員の参考になればと掲載します。
7 月 4 日 “遺跡出土”めぐり県教委と住民が水掛け論 土佐市
 県埋蔵文化財センターが昨年、「縄文から弥生にかけての土器や集落跡を発掘した」と発表した土佐市高岡町乙の北高田遺跡をめぐり、地元の一部住民が「遺跡は出ていない」と抗議。「無駄なことに税金を使うな」などと書いた看板を立てて同センターや県教委に対して抗議活動を続けている。「出た」「出ていない」のやりとりは約二年も続き、このあおりで四国横断自動車道伊野−須崎間の工事も遺跡周辺約三百メートルの区間で十一年四月から着手できずにいる。これまで静観していた日本道路公団は「このままでは高速道開通が十四年の高知国体開催に間に合わない」としてついに五日、住民や県の立ち会いの下、現場の水田を掘り返して“決着”をつける。  
高速道工事ストップ 道路公団掘り返して“決着”へ  
 北高田遺跡は、同自動車道土佐インター(仮称)から西約八百メートルの場所で、伊野−須崎間の工事着手前に県埋蔵文化財センターが十年五月から試掘。土器片などが出たため周辺五千四百平方メートルで本掘調査し、十一年二月、「縄文晩期の土石器約五千点、弥生中後期の掘っ立て柱建物の集落跡や土石器約二万点が出土した」と発表した。ところが、試掘開始直後から、一部地元住民が「遺物はどこかから持ち込まれたもの」などと抗議。地区長の橋詰弘道さんは計七枚の立て看板で、埋文センター職員らの対応を批判、当時の高知新聞の報道に対しても「うそを書くな」と批判している。  橋詰さんらの主な主張は▽数カ月の発掘作業中、付近の住民がだれも土器などが出てくる場面を見ていない▽周辺は湿地帯で人が住める環境ではない▽辺りの水田には深さ約一メートル前後の所に水はけ用の竹が埋まっているが、遺跡はこれより浅い所で出ており不自然―など。現地説明会で展示した遺物も「別の場所の出土品」と譲らず、「県や埋文センターは発掘調査費を消化したいだけだ」と“ねつ造”を主張している。  
 これに対し県教委は「橋詰さん自身、発掘作業中に破片が出土するのを見ているはず。どうしてこんな抗議をされるのか真意を測りかねる」と困惑し、騒動の長期化については「どう言っても理解されない」とやけ気味。「現場職員の応対や感情的なこじれも要因かもしれないが、たくさんの作業員が携わった調査で、出たものは出た。五日の調査で納得してもらいたい」としている。  一連の騒動について
日本道路公団高知工事事務所は「工事前の遺跡調査でこんな事態になったのは全国で初めて。県教委など関係機関と住民のやりとりを見守り、着工を控えていたが、現場の工事は一年以上も遅れ、これ以上待てば開通が遅れる」とうんざりした様子。五日の調査は事態の長期化にしびれを切らした公団が音頭を取って実施する形で、発掘地点に隣接する「出土品がまだ残っていそうな場所」を重機で掘り起こして白黒をはっきりさせるという。 2000.7.4高知新聞社
  (編集)遺物そのものが、出た、出ないという騒動は、工事側が隠すという場合ありますが、住民側が「出ていない」と主張するとは珍しいことではないでしょうか。
続報
 7 月 6 日
土器片など出土 北高田遺跡掘り返し 論争決着
 県埋蔵文化財センターと地元住民らとの間で遺跡の“真偽論争”が続いていた土佐市高岡町乙の北高田遺跡で五日、日本道路公団による前代未聞の掘り返し調査が行われた。現場では「絶対に出ない」という住民と、「きょうこそ決着させる」という県教委職員ら約五十人が対峙(たいじ)する異様な光景になったが、結局、三十点ほどの遺物が出土。立ち会った専門家が「弥生中後期以前の土器、遺跡に間違いない」とお墨付きを与えた。公団側は周辺の高速道工事にできる限り早く入る意向だが、県教委内部や遺跡発掘の専門家の中には「こんなことで論争になること自体おかしい」との声も出ており、双方に後味の悪さが残る結果になった。  
 掘り返し調査は、同センターと住民らとの話し合いがつくまで「工事を強行しない」としていた公団が「これ以上待てば伊野−須崎間の開通が高知国体に間に合わない」と業を煮やして実施。縄文から弥生にかけての土石器など約二万五千点が出土した遺跡のうち、未発掘地点を重機で掘り返した。  再発掘では、約三時間で深さ五十センチから九十センチほどの地中から三十点余りの土器片らしいものが次々に出土。遺物をセンター職員らが示すたびに、住民が「本当に紀元前のものか」「奈良時代の茶わんとどこが違うのか」などといぶかしげに目を凝らした。 
 第三者の専門家として公団が招いた徳島文理大文化財学科の大久保徹也講師は、遺物や地層の状態について住民の質問に慎重に答えつつ、遺物の焼き具合や文様などから「弥生中後期の土器」と断定。県埋蔵文化財センターの調査結果を「全体として間違いではない」と結論付けた。  
 
作業中、「ないと信じて見に来た」という十人ほどの住民のうち地元の橋詰弘道区長(53)らが「説明が不十分」「石もない沼地に人が住むわけがない!」とかみつく場面もしばしばあったが、やがて地中から大きな石も見つかり、ある住民は「出たものは出た。もう認めるしかない」。橋詰さんら一部住民はそれでも「こんな調査では納得できない」と不満をぶつけていたが、第三者の判定が出たことで長い論争にようやくけりがついた格好だ。  
 県教委文化財保護室の責任者は「騒動になったからといって、現場の対応を批判するのは酷」としながらも「遺物が出た時点で住民に確認してもらうとか、説明の仕方などにもう少し方法があったかとも思う。遺跡調査への理解、認識を深めてもらうよう、今後の材料にしたい」と話して現場を後にした。
 (編集)決着はしたようですが、後味の悪そうな出来事です。県内の関係者の皆さん、現場での対応にはとりあえず注意を。大文協が行っても嫌がらずに説明してください。 

●日田考古学同好会第11回総会と記念講演会開催。
 記念講演/県立博物館副館長真野和男氏「絵図と考古学(中世)」
 15世紀始め、宇佐八幡の復興の際に作られた「応永の絵図」について解説をされたそうです。歴史的事実を視覚的に知ることができる絵図の重要性を語ったとのことでした。
★県外からの情報ですが、遺跡保存を訴える内容ですので転載しました。
「平澤 加奈子(國學院大學)さんからの情報提供です。
Title = 長岡京と桓武天皇(長岡京東院の保存を求める緊急シンポジウム) Date = 2000年7月22日(土)12:30〜17:00 Place = 明治大学リバティタワー6階1063教室 Money = No Host = 「長岡京と桓武天皇」シンポジウム実行委員会・ 歴史学研究会日本古代史部会 Message = <講演>永井路子(作家)/林陸朗(國學院大學名誉教授) /山中章(三重大学教授)/鎌田元一(京都大学教授) *当日ご希望の方に有償にて「長岡京関係資料集」を頒布いたします。 今年2月に発見された長岡京の東院跡は、桓武天皇が平安京へ遷都するまでの 約2年間、天皇の居所として使用された場所であることが明らかになりました。 これは長岡京の歴史のみでなく、歴史全体をより深く考える上で大変重要な遺跡です。 しかし、今まさにこの遺跡は破壊の危機に瀕しています。皆さんで一緒に長岡京に ついて考え、遺跡の保存を求めていきましょう! 多数のご参加をお待ちしております。 Traffic = JR中央線・総武線/地下鉄丸ノ内線 御茶ノ水駅徒歩5分 地下鉄千代田線 新御茶ノ水駅徒歩5分 地下鉄都営三田線・半蔵門線・新宿線 神保町駅徒歩7分 」
《 アークネット★イベントニュース 》 ----------- No.064 [ 2000/6/30 ] からの転載です


●大分市玉沢条里跡遺跡で弥生時代の子供のための墓地が出土。
 大分市玉沢地区(雄城台高校のある台地のふもと、国道210号に沿ったあたり。現在、トキハインダストリーがショッピングモールを建設中で、年内にも完成のようです)で、弥生時代の子供たちのための墓地が見つかったとのことです。三、四十aほどの壷や甕を棺として使った墓が七十基ほど出土したそうです。とくに遺物はなかったとのこと。市教委によると、時期は弥生中期から終末にかけて。
 小児墓地の存在は、小さな子供の生存率が低かったとされる当時の社会の反映ではないかとみているとのこと。
  同遺跡からは、古代(奈良・平安時代)の条里跡とみられる遺構や、弥生・古墳時代の水田跡などが出土しているとのことです。(6月29日、合同新聞)
 4月の時点での、大文協からの問い合わせの際の市教委の説明によると、以前から条里の跡は知られていたということ。遺跡も溝のようなものばかりで、遺物はその時点ではないという回答でした。いかにもたいしたものではないというのが市の認識のようです。しかし、大分市における中心的な水田耕作地域の歴史を示す点で重要でしょう。
すでに工事は進み、おおかたは破壊されたようです。せめて、地域の歴史をしめすものが少しでも残ってくれると良いのですが。

●大文協2000年大会風景

あいにくの曇り空、前日が雨だったこともあり、参加していただけるか事務局は心配していましたが、午前から大勢の参加がありました。
とくに半数が地元大在の方々でした。地元の会員さんの頑張りのおかげです。
まず森猛氏の講演

 次は「大友関連遺跡の保存を考える会」の事務局長・首藤さん。
同会はつい先ごろ「大友河原市」を成功させ、中安遺跡に関しても、大分市に質問書を提出するなど多彩で活発な活動をしています。河原市については下記参照
 大友にも中安にも、大分市当局の文化財や故郷の歴史にたいしてなんら愛情のない態度が共通しています。


朝から大勢の市民・県民がつめか
け、熱心に耳をかたむけていました。後ろには中安遺跡現地説明会の時のパンフや、新聞切り抜きなどを掲示しました。
お昼休みをはさんで、午後の部。午後一番は記念講演・松村恵司氏の富本銭の話です。

スライドを使っての講演でしたので、実際は真っ暗でした。下は説明中の様子。
飛鳥池遺跡で見つかったものだけでなく、最近の飛鳥での発掘状況も説明していただきました。
話題になりました亀石がどう使われていたのかなど当時の土木技術や金・銀・銅・ガラスなどの加工技術の高さに会場からも感嘆の声が上がりました。また富本銭を見つけたものの、日銀貨幣博物館などの貨幣史の側との間の論争が起きたことなどを時にユーモアを交えての話に引き込まれました。

講演の最後はジャーナリストの清田氏。
中安遺跡について一貫して紙面で訴えつづけてきた方です。
たくさんの遺跡が消されてきた大分市において、状況は厳しいが、中安遺跡のようなすごいものを残さずに、なにを残せるのかと強く訴えられました。
また、九州各地で残され、さらには町おこしとして整備され、生かされている例をあげ、遺跡の保存活用に知恵をしぼろうと呼びかけました。


大会の最後は会場も一緒になったシンポジウム。
会場から活発に、各講師に質問が出され、多めにとったはずの時間もあっというまでした。
松村講師からは補足説明として、中安遺跡を見た感想として、周囲1kmぐらいに様々な建物郡が埋まっている可能性が示唆されました。
また会場から古代の文献に出てくる「サカトの津」との関連を指摘する意見が出されました。
現時点で門が西向きといわれていることも、それとのかかわりで考えられるのではとの意見に、この地域が港として中央に直結した存在であり、そのための施設が中安遺跡にあった可能性もあるという意見を聞き、ぜひ全面的な発掘をして、海部がもっていた役割を明かにしてほしいといのが参加者の一致した認識となりました。
海部の地が想像以上に重要な価値をもっていたことに参加者は故郷への誇りを感じたようです。
また、地元の大在で生まれ、育ったというご婦人から、切々と、思い出の地が消えていき、昔は周囲から海水浴に来ていた海もなくなったことが述べられ、以前のように子供達が思いきり深呼吸するような故郷を残してやりたいとの訴えに思わず会場から共感の拍手がわきました。故郷への思いが会場を満たした、感動的な情景でした。市長はじめ関係者にこの女性の声が届くことを願わずには居られません

下は、大文協大会を伝える大分合同新聞(6.19)


この記事のなかではとくに松村講師が「風土記に記載された郡衙の発掘例は、全国的にも鹿島郡衙(常陸国風土記)など三例しかなく、海部郡衙の発見はきわめて貴重。周辺には関連施設が展開し、東西1`にわたって遺構がつながるのではないか」と指摘。
 また、松村氏が文化庁調査官を努めた経験から、「最近の地方分権と権限委譲の流れは、首長によって文化財への理解と対応が違う状況を生んでいる。非常に心配だ。郡衙・評衙跡の中安遺跡自身が、地方行政施設の始まり、市役所の第一号ともいえるもの。地方行政を大事にするなら、当然、保存を考えるべきものだろう」という言葉も紹介されている。

● 空き教室を資料館-三光村    23日  合同新聞

    三光村教委は村内の山口小学校の空き教室を“昔の農機具資料館”として整備をすすめているそうです。授業の中で役立ててもらおうと言うのがねらいのようです。すでに教師もどのようにつかわれたかわからないものも多いようで、村教委としては説明版や使っている様子を描いた絵も整備するとのことです。
  各地の公民館に“死蔵”されているようなものも、少しでも子供達の身近に置くのがよいのでは。ただ、教室を一般にも開放し、説明なども地域の歴史に即した具体的なものであれば、さらにミニ資料館としてよいと思うのですが。ぜひ、ただの学校の物置とならないように教委・学校とも工夫していただきたい。

● 安心院縄文会2000年総会

大文協の会員団体であります、安心院縄文会の2000年度(平成12年)定期総会が4月25日にに開かれました。さっそく今年度、第一回の研修交流会の後、総会。8月には大分大学の川野田実夫教授を招き「安心院町の自然環境」をテーマに学習することが決まったそうです。また当日、機関誌第11週が配布されました。
● 九重町歴史資料館オープン
 九重町歴史資料館が4月22日に文化センター内に開館しました。
展示室、収蔵庫、整理工作室があるそうです。
地元の二日市洞穴の遺物や縄文時代の炉跡、中世の釘野千軒遺跡で発掘された「八稜鏡」などが常設展示されるそうです。

●小学生に歴史体験授業

天瀬町の文化財調査資料室では毎年一学期、小学6年生を対象に職員が歴史の授業をしています。町内から出土した石器や土器に触りながらの授業だそうです。黒曜石を実際にたたいて割らせ、石器づくりの体験をさせたり、調査中の遺跡を案内したりもするそうです。


●県公文書館が開館6年目
 
過去5年間に一万五千人が利用。30年経過した公文書が公開されています。
専門家、行政関係者のほかに、神社の由来を調べるといった利用があるそうです。
大文協会員の皆さん、どんどん利用しましょう。

●大分合同新聞-「戦争遺産」
 
合同新聞が5月の終わりに連載した記事。県下の戦争遺跡の現状を報告し、保存の必要性を伝えている。
特に県下でも戦跡が多く、佐伯市独自で平和祈念館をもっているということで、戦跡も保存も行われているのではと漠然とイメージしていたが、現実には放置されているものが多く、あまり大分市とかわらないようだ。市議会でも遺跡の荒廃ぶりに保存・公園化の声のあがっているものもあるが、財政事情を理由に無理というのが市教育長の意見だそうだ。
一日も早く調査・保存が望まれる。

●鎌倉時代の仏像発見 

山香町のお堂にひっそりと(4月21日)−大分県−  山香町久木野尾の堂から、鎌倉時代の阿弥陀(あみだ)三尊像が見つかった。鎌倉時代の仏像は県内でも数が少なく、町教委では県指定文化財に申請する方向で検討する。  仏像はヒノキで作られ、中尊の阿弥陀如来像が高さ98cm、脇侍の観音菩薩(ぼさつ)像は62cm、勢至菩薩が62.3cm。県立歴史博物館(宇佐市)によると、作者は不明だが、螺髪(らはつ)や衣紋(えもん)なども丁寧に刻まれており、鎌倉後期に京都の仏師が作ったのではと推測している。観音、勢至両菩薩はひざを曲げ、やや前のめりになっており、「鎌倉時代を中心に流行した阿弥陀来迎図に触発された」とみている。  保存状態は良いが、近年、修理して金泥を厚塗りしているのが惜しまれるという。  仏像の“真価”が分かったのは一月末。同博物館の職員が町内の別の仏像の調査に訪れた際、地元住民の案内でこの仏像も調査した。  安置されていた場所は民家の横にひっそりたたずむ堂で、これまで施錠もしていなかったほど。“掘り出し物”の発見に、渡辺文雄調査課長は「思いもよらぬ場所から貴重な文化財が出てきてびっくりした。少なくとも町指定レベルにはある」と話す。  同博物館では、地元の人らの承諾を得て、現在開催中の「おおいた話題の資料展」に展示。堂の近くに住む安部志津夫さんは「そんな立派なものだとは知らず驚いた。地区の人と協力しながら、いつまでも大事にしたい」。町教委は「町内にはまだ、日の目を見ていない貴重な文化財が埋もれているのでは」と話している。 (大分合同新聞) 2000.


● 壁画に千手観音像・富貴寺大堂(5月19日)  

大分県豊後高田市の富貴寺大堂(国宝)にある阿弥陀如来坐像(ざぞう)背後の壁画裏面に、18の頭上面と42本の手を持つ千手観音像が描かれていたことが、山梨県立美術館の浜田隆・前館長らの調査で確認された。大分県宇佐市の県立歴史博物館は1998年に富貴寺大堂を館内に再現していたが、今年初めまでに千手観音像を空白部分の壁画裏面に復元した。絵図を描いたことで、建立された平安時代後期の“浄土の世界”が、完全によみがえった。  歴史博物館によると、富貴寺大堂内部は建立当初、緑青や群青、朱、丹などの岩絵の具で、色彩豊かな世界が作られていた。風化や剥落(はくらく)が進み、肉眼ではどのような絵か分からない所も目立っていたため、歴史博物館は1998年秋、館内に富貴寺大堂の実物大模型を建て、内部の仏画も復元した。その際、剥落がひどかった後部壁画の裏面だけは、空白のままにしていた。  浜田前館長や川面美術研究所(京都市)が中心となって、裏面を調査。絵の具の痕跡を調べるとともに、斜光ライトを使って図柄を確認した。  復元された裏面は縦2m、横2.7m。千手観音像の高さは1.28mで、頭上面は18面あり、42本の手は蓮華(れんげ)、ブドウなどを持っている。帝釈天や阿修羅王など28体が、左右に分かれて仕えている。歴史博物館は「裏面の図柄は、密教の影響がうかがえる。ぜひ足を運んで、当時の信仰や宗教観を体験してほしい」と話している。  富貴寺大堂 12世紀後半に建立され、中尊寺金色堂(岩手県平泉町)や平等院鳳凰(ほうおう)堂(京都府宇治市)と並ぶ阿弥陀堂。本尊の阿弥陀如来坐像(国の重要文化財)を囲み、内部の柱や壁などに、浄土の世界が、絵巻物のように描かれており、1952 年に国宝に指定された。(読売新聞)


●新たな文化財指定
文化財保護審議会によれば、県内では、旧耶馬溪トンネルの一号厚ヶ瀬トンネル、二号厚ヶ瀬(ともに三光村土田)が登録有形文化財として登録するよう答申された。中津市と山国町を結ぶ耶馬溪鉄道は1913年から24年にかけて建設されました。二つのトンネルは13年に建設されました。耶馬溪鉄道は75年まだに廃止され、現在はサイクリング道路になっています。

●玖珠・に遊歩道整備される
大文協も保存にむけ活動しました玖珠町の角埋山の公園北側の旭谷からのルートを整備したそうです。

●地中に卑弥呼の石?・日田市の会所山山頂(5月31日)

 奈良時代編さんの「豊後風土記」に登場し、日田の名称の語源になったといわれる「久津媛(ひさつひめ)」を祭る神社がある大分県日田市日高の会所山(よそそやま)山頂の地中に約7m四方にわたって巨大な石が埋設されている可能性が強いことが、最新鋭の磁気探査機による調査で分かった。  周辺から出土した土器片は「卑弥呼の時代」の3世紀後半とみられることなどから、調査した市民団体は「卑弥呼に関係した遺跡ではないか」とロマンを膨らませている。  この市民団体は「久津媛と日田の古代を語る会」(後藤英彦会長)。  巨大な石とおもわれる反応があったのは、会所山の東側の2つの山頂のうち北側の山頂(164m)。NTTの協力で2回にわたって磁気探査機で調査。平たんな山頂のほぼ中央部の地中1.1〜1.5mのところに、約7m四方に平たい石を敷いているとみられる反応が確認された。  2回目の調査に立ち合った賀川光夫・別府大名誉教授(考古学)は「山頂部は盛り土らしく、人工的な構造物に間違いないだろう。発掘しないと分からないが、巨石信仰の祭祀(し)遺跡ではないか」と話す。  会所山近くでは、中国の皇帝クラスの人物しか持ち得ない高貴な宝器といわれる「金銀錯嵌(さくがん)珠龍文鉄鏡」(重文)や「金銀錯鉄帯鉤(たいこう)」が出土している。  「久津媛の会」幹事長の石丸邦夫さんは「魏志倭人伝にある『鬼道に事(つか)え』るのは卑弥呼だが、祭祀遺跡とすると祭祀の主は卑弥呼かもしれない、と夢は広がる。さらにデータを集め、試掘につなげたい」と話している。 (西日本新聞)


●壁画に千手観音像・富貴寺大堂(5月19日)

 大分県豊後高田市の富貴寺大堂(国宝)にある阿弥陀如来坐像(ざぞう)背後の壁画裏面に、18の頭上面と42本の手を持つ千手観音像が描かれていたことが、山梨県立美術館の浜田隆・前館長らの調査で確認された。大分県宇佐市の県立歴史博物館は1998年に富貴寺大堂を館内に再現していたが、今年初めまでに千手観音像を空白部分の壁画裏面に復元した。絵図を描いたことで、建立された平安時代後期の“浄土の世界”が、完全によみがえった。  歴史博物館によると、富貴寺大堂内部は建立当初、緑青や群青、朱、丹などの岩絵の具で、色彩豊かな世界が作られていた。風化や剥落(はくらく)が進み、肉眼ではどのような絵か分からない所も目立っていたため、歴史博物館は1998年秋、館内に富貴寺大堂の実物大模型を建て、内部の仏画も復元した。その際、剥落がひどかった後部壁画の裏面だけは、空白のままにしていた。  浜田前館長や川面美術研究所(京都市)が中心となって、裏面を調査。絵の具の痕跡を調べるとともに、斜光ライトを使って図柄を確認した。  復元された裏面は縦2m、横2.7m。千手観音像の高さは1.28mで、頭上面は18面あり、42本の手は蓮華(れんげ)、ブドウなどを持っている。帝釈天や阿修羅王など28体が、左右に分かれて仕えている。歴史博物館は「裏面の図柄は、密教の影響がうかがえる。ぜひ足を運んで、当時の信仰や宗教観を体験してほしい」と話している。  富貴寺大堂 12世紀後半に建立され、中尊寺金色堂(岩手県平泉町)や平等院鳳凰(ほうおう)堂(京都府宇治市)と並ぶ阿弥陀堂。本尊の阿弥陀如来坐像(国の重要文化財)を囲み、内部の柱や壁などに、浄土の世界が、絵巻物のように描かれており、1952年に国宝に指定された。 (読売新聞)


●古墳時代の閉塞石・野村台遺跡(6月3日)

 臼杵市野田の野村台遺跡(田井ヶ迫地区)で、古墳時代の横穴墓群から、墓の入り口 のふた「閉塞(へいそく)石」が見つかった。県内では、大分市・木ノ上峠横穴墓群( 2例)に続き、3例目。県教委によると、国道の建設工事に伴い、調査した横穴墓は3 基。出土遺物から、いずれもがけをくりぬいており、築造時期は7世紀中ごろから終末 とみられる。入り口から羨道(せんどう)部を通り、奥に遺体を安置する玄室が設けら れており、閉塞石は、うち1基から見つかった。凝灰岩の一枚岩で、高さ85cm、幅78 cm、厚さ約20cm。外側の面には短冊形の浮き彫りが施されていた。


文化財保存修復学会第22回大会・第26回総会 
   2000年6月10日(土)・11日(日)


T; 大会 (講演・研究発表)詳細は後日掲載予定 ○ 日程   2000年 6月 10日(土)・11日(日) ○ 会場   別府大学(3号館ホール、32号館)(〒874-8501 大分県別府市北石垣82)    特別セッション「磨崖仏これからの千年」 U; 総会  ○ 日程   2000年 6月11日(日)11:30〜12:30 ○ 会場   別府大学 3号館ホール V; 機器展示 ○ 日程  2000年 6月10日(土)・11日(日)  ○ 会場  別府大学 32号館 W; エクスカーション(予定) ○ 日程  2000年 6月 9日(金) ○ コース  A. 国東・宇佐       B. 臼杵   C. 日田         D. 福岡・福岡市埋蔵文化財センター・甘木・湯布院   X; 懇親会 多分野にわたる学会参加者の交流を主目的にして、郷土料理・だんご汁パーテイを別府大学短期大学部食物栄養科のご協力によりおこないます。 ○ 日程  6月10日(土) 大会終了後  於;別府大学歴史文化総合研究センター ★ 託児ルーム ○ お子さま同伴の参加者のために、別府大学附属幼稚園と別府大学短期大学部初等教育科のご協力により託児ルームを開設いたします。 (2/5掲載、詳細は別府大学HPをご覧下さい)(2/5掲載) 保存修復学会-ハカタントロプス・2000.6.9


●古代人は鏡を大切 
勾玉付きの保存袋確認・瀬戸1号墳(6月10日)

 大分県玖珠町の瀬戸1号墳(3世紀末〜4世紀初め)で出土した小型の国産鏡が、き んちゃく袋に入れられ、勾玉(まがたま)で飾ったひもでくくられていたことが、奈良 県立橿原考古学研究所などの調査でわかった。こうした袋は例がなく、当時の保存の実 態を知る貴重な資料。10日から、大分県の別府大で始まる文化財保存修復学会で報告さ れる。

●大友河原市-大賑わい!

大友関連遺跡の保存を考える会(大文協は団体会員です)が主催した第一回大友河原市が天候にに恵まれ、大勢の市民の参加で大成功でした。
これは豊後府内の町が大分川に沿った「市」の発生にその起源の一つを持つことにちなんだ催しです。広く県民、市民に大友遺跡の存在と府内の歴史をアピールする役割を果たしてほしいと願います。
会では大分市の名物に育て様という意向のようで、すでに来年に向けて動いているようです。


●瑞巌寺(九重町)修復へ(6月13日-合同新聞)

九重町松木にある県指定史跡「瑞巌寺磨崖仏」が本年度から3ヶ年計画で修復されます。同磨崖仏は高さ2.26bの不動明王を中心に五体が岸壁に半陽刻されています。清作時期は鎌倉初期と室町中期の2説があるようです。
石仏の岩の表面が剥げ落ちたり、かびが発生したり、鼻や腕の一部が欠けた石仏も見られるそうです。
九重町ではとりあえず今年度が専門化に依頼して傷んだ個所の調査をし、来年度から本格的に保存・修復に入るとの報道です。


中安遺跡-「考える会」を発足へ
  
     大友関連遺跡の保存を考える会
  
 合同新聞によれば、同会は中安遺跡のそばの亀塚古墳公園の古墳資料館で意見交換会をもよおし、その際、「考える会」発足へ準備会を設立することが決まったそうである。
 大文協も他団体との連携を念頭に活動していますので、これまで同様積極的に運動して行きます。中安遺跡保存の声を市民・県民に広めることが必要です。また中安遺跡について大文協は13日大分市長あての再質問状を提出しました。くわしくはhotnewsを。.

●中津市平成10〜11年にかけての発掘報告

  以下の報告は会員の方が中津市役所で聞き取りをしてきたものです。
ごくろうさまでした。今後ともご協力お願いします。

 さてお申し込みの平成10年からの中津市の発掘状況の簡略をご報告いたします。私も最近は発掘現場 をよく拝見し居りませんので、早速、市の文化課に参り知識を得て参りました。お話しによると、 地区の発掘などは県の大分県教育委員会に報告され,集められた全市町村の報告が一冊の本になり、 大分県埋蔵文化財年報(号数)と名付けられ、また地方の文化課に配布される仕組みになって居りま す。現在まで発行されているのは、大分県埋蔵文化財年報7(平成9年度版)迄です.この本は県の 教育委員会所属の中半田の資料室にて製作されて居りますが、一般には販売して居りません。各市町 村の文化課にあるだけです.但し平成10年度以降は未発刊ですので各市町村の担当者からしか聞け ないと言うことになります. 平成10年からの分は中津市から県に報告した文章により、簡略に説明を書いて見ました。 結論からして、平成10年以降には.中津市ではたいした遺跡は発掘されていません. 隣の三光村ではジャスコの隣に弥生の遺跡が出ておりました。また川向こうの福岡県の太平村、新吉 富町周辺で弥生.古墳の集落が出ており、別府大学の坂田先生が足跡の調査をされています。また大 平村に神籠列石が発見されたと間題になっていますが、一般には立ち入り禁止になっています。私 もまだ拝見しておりません。

平成10年度分
1、福島遺跡、東入垣遺跡
 場所   中津市、大字福島 別図参照   面積   900m2   調査期間   H10.5.22〜10.6.17  
調査者  花崎 徹
主な時期 弥生時代
主な遺構  溝 土壙  溝は100mくらい
遺物    弥生土器
関連文献 「福島遺跡(IV)東入垣地区、定留遺跡、八反ガンウ地区」中津市教育委員会発行1999
遺物の保管  中津歴史民族資料館

2. 中津城下町遺跡、殿町地区   
場所  中津市、殿町 県道(旧国道)拡張のため 面積  4080m2   調査期間   H10・6・1−11;3.19
調査者   高崎章子、花崎 徹
主な時期   18・19世紀
主な遺構  柱穴、溝、井戸、土壙、
遺物   近世陶磁器、土師器、瓦
発表文献   未発表
遺物の保管  中津歴史民族資料館

3、 舞手川流域遺跡
場所   中津市、是則 面積   1000m2 調査期間 H10、10.7〜11.1.18
調査者  花崎徹 1∴
主な遺構   土壙
遺物    須恵器・土師器
発表文献  未発表
遺物の保管  中津歴史民族資料館

4、定留遺跡八反ガソウ地区 
場所  中津市.大字定留 面積   10,5ha 調査期間 Hl0.10.12〜10.ll.30
調査者  高崎章子 主な時期   古代、中世
主な遺構  竪穴住居、溝.居館跡
遺物    須恵器、土師器
発表文献   「福島遺跡(IV)東入垣地区.定留遺跡.八反ガソウ地区」中津市教育委員会発行1999
遺物の保管   中津歴史民族資料館

5、洞上窯跡遺跡
場所   中津市・大字伊藤田 面積   800m2 調査期間 H10.10.I〜10.10;3
調査者  花崎徹
主な遺構  なし    遺物   なし   発表文献  なし

6、天貝遺跡 場所  中津市:大字諸田 面積   366m2 調査期間  H10.5・26〜10.7.15
調査者   高崎章子
主な遺構  遺物包含層
遺物   縄文、古墳時代の土器片
発表文献 未発表
遺物の保管   中津歴史民族資料館


平成11年度分

1:、定留遺跡、赤松地区
場所   中津市大字定留995番地  別図参照 面積    13000m2 調査期間  H11.4・1〜11.8.31
調査者   高崎章子、花崎 徹     主な時期   古墳時代.中世
主な遺構  掘建柱建物、約30棟、土壙、溝、井戸、土塁、竪穴住居、中世墓
遺物   土師器、須恵器、蛸壷、緑釉陶器、約40箱  中世の瓦器椀.銅鏡.鉄器
発表文献  未発表、
関連文献は「福島遺跡(IV)東入垣地区、定留遺跡.八反ガソウ地区」中津市教育委員会発行1999
遺物の保管  中津歴史民族資料館
補注.    調査区域全域に掘建建物群(ママ)がある。ガソウ地区とほぼ同時期に当たる。八反ガソウ地区が墓域と、作業地域であり(蛸壷焼成坑のあることより)、当地が住居地帯と考えることが出来る。古代海浜集落の一形態であろう。       
銅鏡は現在宇佐市の歴史民族博物館にて修理中との事.

2、定留遺跡、田畑地区
場所   中津市.大字定留留1064番地 面積   13.5ha 調査期間 H11.7.21−11.10.15
調査者  花崎徹     主な時期  古墳時代、中世
主な遺構  掘建建物1棟、ビット、溝
遺物    古代の土帥器、須恵器片
発表文献  未発表       特に記載するほどのものはありません。

3.中津城下町遺跡殿町地区
場所 中津市殿町1405番地  別図参照 面積  2080m2 調査期間  H11.8.1〜11.12.22
調査者  坂本4嘉弘、高崎章子   主な時代 江戸時代
主な遺構 100余りの廃棄土壙、柱穴、石列、溝.井戸(2基)
遺物   近世陶磁器、土器、瓦.同製品・魚箱100ケ分
発表文献 未発表
遺物の保管 中津歴史民族資料館
補注   江戸時代の地図では高級武家屋敷であり、地図と対比出来る。溝は屋敷の境界を示して いるようである。

以上が平成10年と11年の主な発掘です。余り紙上を賑わすものではありません。 発掘跡は破壊されています。圃場整備と道路拡張が主体だからです. 平成11年の定留赤松地区の銅鏡は一部の方から声が揚がっていましたが平安時代のもの らしく.其の後余り聞かれません。 現在もどこか発掘して居るようですが、珍しいものではないようです. 以上ご報告致します.敬具

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